翔「女流飛行家・横山秀子」写真集

日本初の女性職業パイロット・横山秀子さん

横山秀子さんは昭和11年、日本女性最年少の17歳で二等飛行機操縦士免許を取得、戦後航空再開間もない昭和28年に事業用操縦士技能証明を取得されました。計器飛行証明、操縦教育証明も持つ名実ともに戦後日本の女性職業パイロットの草分けです。

この度横山秀子さんの貴重な写真を、写真集としてご家族の方々が編纂され当協会にも寄贈いただきました。一般販売されていませんので、当サイトでその写真の一部をご家族の許諾のもと公開いたします。是非ご覧ください。

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横山秀子さんプロフィール

大正8(1919)年3月 銀座でレストラン「松月」などを営み銀座社交料飲組合会長を務めた久岡松楠(のちに銀座凮月堂社長)の長女として、神田に生まれる
泰明小学校(東京都中央区)、東京府立大六高等女学校(現・都立三田高校)卒業
昭和11(1936)年 17歳 二等飛行機操縦士合格
昭和14(1939)年 20歳 横山巌と結婚
その後、秀子の願いで巌が銀座凮月堂を買い取り経営を指揮した
昭和28(1953)年 34歳 事業用操縦士試験に戦後女性として初めて合格
昭和29(1954)年 35歳 銀座凮月堂取締役就任
昭和30(1955)年 36歳 巌が中央航空を設立、秀子は船橋ヘルスセンター内の遊覧飛行のパイロットを担当
昭和31(1956)年 37歳 埼玉県入間川のジョンソン空軍基地で、日本女性として初のジェット機操縦を許される
昭和33(1958)年 39歳 銀座凮月堂代表取締役就任(以降、昭和52(1977)年に一旦、代表権のない取締役になるが、昭和56(1981)年に再び代表取締役就任)
昭和35(1960)年 41歳 戦前戦後を通じて女性として初めて双発機の操縦免許取得
昭和36(1961)年 42歳 日本初の女性教官に合格
沖縄記念飛行
昭和37(1962)年 43歳 計器飛行免許取得
昭和41(1966)年 47歳 航空自衛隊の超音速ジェット戦闘機F-104DJ機で体験飛行
昭和44(1969)年 50歳 巌が航空事業から手を引くと同時に秀子もパイロットを引退、銀座凮月堂の事業に専念する
平成23(2011)年1月 91歳 死去

写真集

「女性には体力的に無理だし職業にできないから」と周囲から言われたのを押し切って入学した飛行学校。10時間あまりの同乗飛行で単独操縦ができるようになった

少女飛行家としてアイドル並みの人気に。雑誌「少女倶楽部」の撮影用にぬいぐるみを持たされている

憧れのジャッキー・コクラン大佐。秀子より先に音速飛行を体験した凄腕パイロットだった

ソ連初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワと

操縦席に座ると嬉しさが溢れる

飛行機とともにいる秀子は実に溌剌としている

妻であり母でありパイロットとして颯爽とした姿を見せる秀子は、当時の女性たちの憧れの存在であった

秀子はパイロットとしてだけでなく、来客や電話の応対も行っていた

昭和31(1956)年2月、ジョンソン空軍基地(埼玉県入間川)から日本女性として初のジェット機同乗を許可された

オレンジ色の飛行服に身を包み、日本女性としては初めてジェット戦闘機に乗った秀子。飛行隊長から「F104で旋回ができるとはたいした腕前」と称賛されたという

中央航空のセスナ機前で、二男廣隆と。取材用の撮影で